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大阪地方裁判所 平成2年(ワ)2109号 判決

原告

大森誠

被告

榎原幸子

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金六〇〇万円及びこれに対する昭和六三年五月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、交差点内を原動機付自転車で走行中に、左方から進行してきた自動車に衝突されて負傷した者が、加害者の運転者(保有者)に対して自賠法三条に基づき、損害賠償を請求した事件である。

一  争いのない事実

1  事故の発生 次の交通事故が発生した。

(一) 日時 昭和六三年五月二八日午前八時二二分頃

(二) 場所 大阪市淀川区新北野一丁目二番一号先交差点内

(三) 加害車 被告運転にかかる被告保有普通乗用自動車(なにわ五五な二八五五号)

(四) 被害車 原告運転にかかる原動機付自転車

(大阪市西淀ろ三七三八号)

(五) 態様 被害車が、本件交差点を西から東へ直進進行中、北側停止線を越えて停止し、南へ向かつて進行を開始した加害車に衝突し、これにより、原告が負傷した。なお、同交差点は信号機により交通整理が行われていた。

2  受傷内容、治療の経過及び後遺障害

原告は、本件事故により、左大腿骨頸部骨折の傷害を負い、このため〈1〉豊田病院に昭和六三年五月二八日(事故日)から同年九月一四日まで一一〇日間入院し(同年六月八日観血的手術が施行された。)、同月一六日通院し、〈2〉北野病院に昭和六三年九月二一日から平成元年八月三一日まで通院し(診療実日数二三日)、同年九月一日から同月二一日まで二一日間入院し(抜釘のため)、同月二二日から同年一〇月一八日まで通院し(診療実日数二日)、治療を受けた(この事実は、甲二、甲三、甲四の一、甲六の一、甲七によつて認められる。)。

そして、原告の症状は、平成元年一〇月一八日、左右下肢に二センチメートルの脚長差及び股関節の機能障害を残して固定し(この事実は、甲二によつて認められる。)、自賠責保険はこの後遺障害を自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一三級(九号)に該当すると査定した。

二  争点

1  事故状況並びにこれを前提とする免責の成否及び過失相殺割合

(一) 被告

被告は、南行き信号が赤から青に変わつてから二、三秒後に発進した。ところが、被害車は、突然右方から赤信号を無視し高速で進行してきて加害車に衝突し、本件事故に至つたものである。青信号を確認の上で発進した被告には過失はなく、もつぱら信号を無視し、高速走行した原告の過失によつて本件事故は発生したものであり、加害車に構造上の欠陥又は機能の障害はなかつたから、被告は免責されるべきであるし、仮に被告に過失があつたとしても、大幅な過失相殺がなされるべきである。

(二) 原告

被告は、停止線を越えて停止し、左右前方の確認を十分に確認せず、青信号になる前に見切り発進したか、急発進したものであつて、被告には極めて大きな過失がある。

2  損害額

第三争点に対する判断

一  事故状況及びこれに基づく被告の過失について

1  事実関係

(一) 前記争いのない事実に、証拠(乙一ないし九、原告本人、被告本人)に弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる

(1) 本件事故現場は、東西に通じる道路(幅員は本件交差点の西側が約一六・五メートル、東側から八メートル。以下「東西道路」という。)。南北に通じる道路(幅員は二四メートル。以下「南北道路」という。)が交差する交差点内であり、この交差点は、信号機によつて交通整理がされている。道路は、いずれもアスフアルト舗装された平坦なもので、最高速度は時速四〇キロメートルに制限されている。本件事故当時、路面は湿潤状態であつた。

(2) 被告は、加害車を運転し、東西道路を西側から本件交差点に至り、同交差点を一旦同交差点北東角付近まで直進した上、同所で自車を南向きに転回させることによつて同交差点を右折しようと考え、対面信号(東行き信号)が青色であるのにしたがい同交差点に進入し、同交差点北東角手前まで直進し、同所(〈1〉)で自車を南向きに転回させて停止した。そして、南に向つて進行を開始したところ(被告が供述するとおり、その際の対面信号(南行き信号)が青色であつたかどうかについては後に判断する。)、約五・三メートル進行した地点(〈2〉)で進路右側から進行してくる原告運転の原動機付自転車(被害車)を約五・二メートル離れた地点(〈ア〉)に発見し、危険を感じて急ブレーキをかけたが及ばず、約二・六メートル進行した地点(〈3〉)において自車右前部を被害車左側部に衝突させ、更に〇・七メートル進行した地点(〈4〉)に停車した、なお、被告は〈1〉地点から発進するに際し、左右の確認をしなかつた(被告本人四一項)。

(3) 原告は、被害車を時速約三〇キロメートルで運転し、東西道路を西側から本件交差点に至り、時速約四〇キロメートルにまで加速しながら同交差点を直進して通過しようとした(その際の対面信号が原告が供述するとおり黄色であつたかどうかについては後に判断する。)。そして、交差点内に交差点西側停止線から約二〇メートルあまり進入した地点で自車前方約八・二メートルの地点を左右から右方に進行方中の加害車をハンドルを右に切つて衝突を回避しようとしたが及ばず、やや右斜め前方約八メートル進行した地点(〈イ〉)において加害車と衝突し、原告と被害車は約一・七メートル離れた〈ウ〉地点に転倒した。原告は、その際ブレーキをかけなかつた(原告本人一六項)。

(4) 本件交差点の東側横断歩道を北から南に向つて横断中に本件事故を目撃した田中賢一は、対面信号(南行き信号)が青色になつてから横断を開始し、約五・九メートル横断歩道を歩いた地点で本件事故の衝突音を聞き、そこから一メートル進んだ地点で右後方を見ると、前認定の地点に加害車が停止し、被害車及び原告が転倒しているのを目撃した。

(5) 本件交差点の東行き車両用信号から黄色になつてから南行き信号(車両用信号と歩行者用信号が青色になるのは同時である。)が青色になるまでには、東行き黄色表示三秒、全赤表示三秒の合計六秒を要する。

(二) そして、右に認定した事実によれば次のようにいうことができる。

(1) 本件事故が発生したのは、南行き信号が青色に変り、かつ、歩行者である田中が本件交差点の東側横断歩道上を約五・九メートル歩行してからのことである。したがつて、本件事故が発生したのは、南行き信号が青色に変つてから、田中が時速四キロメートルで歩いていたとすれば約五・三秒後、時速六キロメートルで歩いたとすれば約三・五秒後、時速八キロメートルで歩いていたとしても約二・六秒後のことであるということになる。そして、全赤時間が三秒あるからこの時間を加味すると、少なめに考えても、本件事故が発生したのは東行き車両用信号が赤になつてから五・六秒以上後のことであることになる。

(2) 加害車は、本件交差点北東角付近で停止してから、約七・九メートル走行して本件交通事故を起こしたものであるが、対面信号(南行き信号)が青色になつてから一呼吸おいて徐々に発進したという被告本人尋問の結果は、南行き信号が青になつてから本件事故が発生するまでに二・六秒以上の時間的間隔があることとも符合し、信用できる。

(3) これに対して、被害車は、本件交差点西側の停止線から約二八メートル走行して本件事故に遭つたものであり、原告はブレーキを掛ずにハンドル操作のみで衝突を回避しようとしていたから、原告が本件交差点西側の停止線を超えてから、二・五秒後(時速四〇キロメートルで走行したと仮定した場合)より遅く、三・四秒後(時速三〇キロメートルで走行したと仮定した場合)より早い時間で本件衝突現場に達したということになる。逆にいえば、衝突の二・五秒前より早く、三・四秒前より遅い時点で本件交差点西側の停止線上を通過したことになる。

(4) したがつて、原告は、対面信号(東行き車両用信号)が赤になつてから、二秒以上の時間が経過した後に本件交差点西側の停止線上を通過したことになる。

2  判断

そして、以上に認定の事実によれば、被告は、対面信号に従つて本件交差点を進行中、本件事故が起こしたことになるが、被告が、自車を発進させるに際し、進路左方の安全を確認していたとすれば、本件事故を回避することは可能であつたから、被告に過失が全くなかつたということはできない。しかしながら、赤信号に変つた後に幹線道路の交差点に進入、横断しようとした原告の過失が極めて大きいことは明らかである。

その他、右認定事実から認められる双方の過失の内容、程度、衝突場所等を考慮すると、原告の過失が相当に大きく、九〇パーセントを下回らないことになる。

二  損害について

右一で認定、説示したことを前提として、原告の損害について判断する。

1  治療費(請求額一〇一万八三一〇円)一〇一万八三一〇円

豊田病院における治療費として八九万一二四〇円(ただし、六六万円は被告が支払つた、)を、北野病院における治療費として一二万七〇七〇円をそれぞれ要したことが認められる(弁論の全趣旨及び甲四の二及び三、甲六の一及び二、甲八の一ないし四)。

2  入院雑費(請求額一九万六五〇〇円) 一七万〇三〇〇円

原告は、合計一三一日入院したところ、入院雑費は一日当たり一三〇〇円と認めるのが相当である。

3  入院付添費(請求額四九万五〇〇〇円)二九万二五〇〇円

原告の受傷内容、昭和六三年六月八日に観血的手術が施行されたことなどからして、事故日から同年七月末日までの六五日間については付添看護の必要があつたものと認められるところ(昭和六三年八月一日以降の治療期間に関する診断書である甲八号証の付添看護欄は斜線で抹消されている。)、入院付添費は一日当たり四五〇〇円と認めるのが相当である。

4  通院交通費(請求額九〇〇〇円) 九〇〇〇円

豊田病院への交通費として一五〇〇円、北野病院への交通費として一日当たり三〇〇円の二五回分七五〇〇円をそれぞれ要したことが認められる(原告本人及び弁論の全趣旨)。

5  通学交通費(請求額二九万七〇八〇円) 七万八〇〇〇円

原告は、昭和六三年一二月までの三か月余りの間、松葉杖を使用していたので通学に際し片道千五、六〇〇円要するタクシーを利用せざるをえなかつたと主張し、この主張に沿う供述をする。しかしながら、退院後一か月の期間(通学日数二六日)を超えてタクシーを利用する必要性があつたとは認め難い。したがつて、往復三〇〇〇円の二六日分、七万八〇〇〇円の限度で本件事故と相当因果関係のある損害と認める。

6  逸失利益(請求額四九四万〇三四〇円) 四九四万〇三四〇円

前記のとおり本件後遺障害は、後遺障害別等級表一三級九号に該当するというべきである。もつとも、その脚長差自体は比較的少なく、機能上の障害としては、かならずしも原告が六七歳に達するまでの長期にわたつて残存するとは考え難いが、六七歳まで残存するとした場合、原告は、本件事故に遭遇しなければ、原告が大学を卒業する二二歳から六七歳まで(原告は、本件事故後、八代学院大学に入学し平成二年四月に二回生となつた(原告本人)。)、毎年少なくとも昭和六三年賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・新大卒計・二〇歳ないし二四歳・男子労働者の平均賃金年額二六三万二六〇〇円程度の年収を得ることができたはずであるところ、前記後遺障害により、二三歳から六七歳までの四四年間について平均してその労働能力の九パーセントを喪失し、それに相応する財産上の利益を失つたと認めるべきことになる。

そこで、前記年額二六三万二六〇〇円を算定の基礎とし、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して後遺障害による逸失利益の現価を算出すると、次のとおり四八一万八六六八円(円未満切り捨て)となる。

計算式

2,632,600×0.09×(24.7019-4.3643)=4,818,668

7  慰謝料(請求額入通院分一五〇万円、後遺障害分一三〇万円)

合計二三五万円

以上に認定の諸般の事情を考慮すると、本件事故による慰謝料としては二三五万円(入通院分一一五万円、後遺障害分一二〇万円)が相当と認める。

(以上認定額の合計は八八五万八四五〇円である。)

8  過失相殺及び損益相殺

前記損害額合計から前記原告の過失割合九割を減ずると、八八万五八四五円となる。ところで、本件損害の填補として被告から六六万円、被告加入の自賠責から一〇九万六〇〇〇円が支払われていることは当事者間に争いがなく、これらは原告の損害から控除されることになる。

したがつて、被告が原告に賠償すべき損害はもはや存しないことになる。

9  弁護士費用(請求額五〇万円) 〇円

本件事故と相当因果関係にある弁護士費用相当の損害額は、存しないものと認めるのが相当である。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 松井英隆)

別紙 〈省略〉

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